子ども産まれました♪

もう随分と間が空きましたが、先日6月中旬に第一子が誕生しました。出産当時は大変で色々ありましたが、今は元気にすくすくと育っています。かわいすぎてパパ困ってしまいます。

今回はそんな色々あった出産の時のことを、記録していきます。

韓国里帰りどころでなかった

何度か皆さんに尋ねられましたが、韓国里帰り出産はなく、沖縄県南部の沖縄県立 南部医療センター・こども医療センター病院で出産することになりました。気になる方はこちらも。

妊娠と出産

まだ予定日より3ヶ月も早い6月の頃。

コロナ禍真っ盛りな中で、里帰りもできず、そしていまいち子宮の状態が良くなさそうなので、奥さんは一人で病院での入退院を繰り返していました。

後でわかりましたが、実はこの頃、胎盤や臍の緒と赤ちゃんの身体の位置が悪く、赤ちゃんは苦しかったようです。

そんなある日、急遽南部の病院に転院するとの連絡がありました。何やらただことじゃない予感がした私は、ホームセンターで買った角材を車に積んだまま、着の身着のまま2時間ほどかけて転院先の病院へ向かいます。スコールのような土砂降りの中だったと記憶しています。

転院先の病院で諸手続きを終えてしばらくした後、病室で先生に色々状態を丁寧に説明いただきました。状態が悪く、数日以内に出産が必要かも。そう先生は言ってました、確かに言ってました。しかし、前言撤回されました。

「今やりましょう」

先生の突然の一言に頭が真っ白になりました。奥さんの目からは涙が溢れました。

(先生さっき、数日以内に、って言ったじゃん〜)

私は心の中でそう思いましたが、きっと奥さんも思ったでしょう。

出産

今回は胎盤が前についているのが一つの問題でもあり、自己輸血などして出血多量に備えるらしいのですが、そんな準備もできない中でした。万が一のことがあったらどうしようと不安に駆られながら、私は何度も祈ったものです。

しかし、さすがそこは現代の医療技術。先生方の力で無事に出産できました。

突如産まれることになったその日もまた、何かの運命だったのかもしれません。その子に하루/ハルと名付けることにしました。韓国語で1日と言う意味です。(漢字は伏せておきます)。

1010gから3000gへ

産まれた時は1010gでした。本当に本当に小さく、この写真よりもたくさんの管が通っており、それはそれは儚く、ほんの一瞬しか触れることはできませんでした。

当初はPVLと言って脳に傷のようなもののために、何らかの障害が残る心配もありましたし、そのために本土の病院やリハビリセンターを調べたり、東京に戻ることも考えました。田舎特有の「もう産まれたか!?」のプレッシャーの中で誰にも相談もできず、なかなか辛かったのが正直なところです。

とは言え、そんな心配をよそに、4ヶ月ほど経った今は3000gも超えました。

カルテには、「良く泣き、良く動く」と記載されているようでしたが、順調に今育っており一安心です。

先生方には感謝です。

お世話になったガジュマルの家

もう一つ、触れておきたいのがガジュマルの家。病院の近くにあるのですが、遠方から子どもの治療などのために滞在しなくてはならない家族のための滞在施設。

不安な中で色々面倒を見ていただき、急な要望にも対応していただきとても助かりました。

子どものために頑張ろう

子どもには幸せになってほしい。と思うのは親心としてやはりあり、これからは家族を中心に頑張ろうと思いました。

このブログでは今後子育てのことも少し書いていくと思いますので、どうぞよろしくお願いします。また、時々先生方もブログ見てくださるとのことですが、暖かく見守っていただければと思います。

この記事を書いた人

オサナイ(小山内 大輔)

沖縄の道の駅 ゆいゆい国頭の職員(地域おこし協力隊)。元公務員。大田区Meetup代表。
WordPress歴1年でWordCampに無理やり登壇。沖縄を拠点に時々東京で活動する“沖縄1.5拠点生活”に挑戦する。